昭和27年(1952).5.23〔6歳がぜいたく嫌って放火〕
東京都大田区で、6歳は「料亭はぜいたくで憎らしいので焼いちまおう」と、7歳と8歳を引き連れ料亭に侵入して3カ所に放火した。
昨年11.28に自宅で、6歳の母親(35)が小学4年生の長男(9)を帯で絞殺した。模型飛行機を買うため家の百円を盗んだためせっかんしたもの。床下に隠れていたところを逮捕されたが、精神分裂病と診断されて松沢病院に入り、昭和28年1月退院、昭和29年1.15に小学1年生になったこの放火犯の3男(7)、4男(5)、5男(3)の3人をヒモで絞殺、さまよい歩いているところを捕まった。2男は以前に病死しているが、死因を再調査する。父親(37)は大工だが酒好きで貧しい家庭だった。
Re:7日で出来る世界創造は? (スコア:3, おもしろおかしい)
MeeD (18266) : 2006年03月02日 14時45分 (#892837)
6日目までで機能実装を終え、
7日目は運用試験とデバッグだったんじゃないですかね
#そしてバグを残したままリリースされ不完全な我々の世界がある、と
Re:7日で出来る世界創造は? (スコア:2, すばらしい洞察)
Anonymous Coward : 2006年03月02日 15時13分 (#892855)
まだベータテスト中なんです。 審判に残った人だけで正式リリースです。
Re:7日で出来る世界創造は? (スコア:2, おもしろおかしい)
Elbereth (17793) : 2006年03月02日 16時15分 (#892889)
最近は、正式サービス開始=有料β てゆーのが定説です。
アイデアだけでも世界を変えられる
インターネットによって可能になったビジネスモデルに、大規模に個人同士が取引するための「プラットフォーム」を提供するというものがある。eBayやYahoo!オークションのようなオークションサイト、Kivaやmaneoのような個人間ローンのサイト、単発の小さな仕事を仲介するoDeskやAmazon Mechanical Turkのようなアウトソーシングサービス、あるいは自家用車を複数人でシェアしたり、個人間で貸し借りするCaFoReようなサービス、そうしたものが数多く登場している。すべてに共通するのは、インターネットによるトランザクションコストの劇的な低下によって、はじめて可能となったビジネスモデルということだ。それまで互いに発見が不可能で売買が成立し得なかった個人間で、あらゆるモノ・サービスが取引されるようになりつつある。
この文脈で考えれば、AirBnBは必然的に登場してきたサービスと言えそうだが、私が知る限り、日本にはまだこうしたサービスはない。私はここに大きなビジネスチャンスがあると思うと同時に、日本が直面する問題も感じずにいられない。
前出の個人間ローンサイトのmaneoは、もともと都市銀行に勤めていたエリートビジネスマンと、法律の専門家が立ち上げたベンチャーだが、それでも前例のないビジネスであるために関連省庁との調整に2年半かかったという。日本でAirBnBのようなサービスを正攻法で立ち上げるには、下準備にいったい何年かかるのだろうか。過剰なコンプライアンス要求のために、従来の法規制や商習慣に外れたことをやろうという気概のある若者が出て来にくいということはないだろうか。
もう1つ、AirBnBの創業者2人と話していて感じたのは、PHPしか書けなくてもITで世界にインパクトを与えるサービスが作れるという事実だ。AirBnBの2人はアイデアを証明し、ベンチャーキャピタリストから投資を集め、今はRailsハッカーを雇い入れてWebサイトを開発・運営している。世界を変えるのはアイデアであり、新しいビジョンを持った人々だ。そうした人々が純粋な技術者である確率は、今後どんどん低くなっていくのだろう。
ともあれ、今後、海外出張や海外旅行を予定している読者の皆さん、AirBnBで「人間らしく旅して」みてはいかがだろうか?
歴史上、日本社会を大きく揺るがしたのは、15世紀後半の応仁の乱から17世紀初めの江戸幕府成立までの、約1世紀半にわたる戦乱の時代である。映画、TVドラマや小説では、この時代が最も人気がある。
しかし、なぜこのような長期の戦乱時代が到来したのか、説得力のある説明は、学校の歴史の授業も含めて、これまでなされてこなかったように思う。きっかけは、室町将軍の権威失墜を背景として、山名宗全と細川勝元の私闘だったとされて、物語的な経緯は多く語られているが、マスの力学としての社会科学的な説明はあまり聞いたことがない。
ところが近年、日本中世史家の藤木久志氏(立教大学名誉教授)は、15世紀に入って天候不順が続き気温が低下した結果、全国各地で飢饉が頻発し、食い詰めた農民が流民となって京都に大量に流入してきたことを戦乱時代のきっかけと指摘している。
鎌倉・室町時代前半までは、3~5年に1回程度発生した飢饉は、応仁の乱前後以降は、2年に1回の頻度で発生したとしている。応仁の乱の直前には、「京都内の餓死者8万人以上」とも言われている「寛正の大飢饉」が発生している。これらの各地からの飢饉流民は、やがて雑兵・足軽となって各勢力に組み込まれ、次第に不穏な情勢が醸し出されたとしている。
page: 2
京都だけでなく、全国の領主は、食糧確保を巡って近隣と小競り合いを繰り返すようになり、これが京都内の私闘開始に連動して、次第に全面的な騒乱状態に至ったようである。